2014年1月15日水曜日

【読書メモ】思考・論理・分析-「正しく考え、正しく分かること」の理論と実践


所謂ロジカルシンキング、クリティカルシンキング本。類書の中でも名著に出会えたと確信している。通読をお勧めするが、第3章「分析」だけでも「正しい分析方法」の概要が把握できる。



タイトルのとおり、思考とは何か、論理とは何か、分析とは何か、を認識に立ち返って、くどいほど基礎から、ただし形式論理学的に記号で論を進めるのではなく、「思考」「論理」「分析」などの単語の意味定義を日常レベルの言葉で固めながら、丁寧に積み上げて解説している。途中に簡単な例示をいくつも織り込んでおり、単なる理論体系ではなく具体的なイメージを伴って理解できる。このため、思考・論理・分析のメカニズムを明らかにするという本書の本質的価値以外に、職業人としてのプロフェッショナル領域にかかわらず、あるいは自然科学、社会科学、人文科学といった学問分野を問わず、より広い読者の理解を促す仕組みとしても良書である。



 この本はおそらく、手に取る人の学問的あるいは職業的バックグラウンドによって、「本書の何がすごいのか」の感じ方が異なる。実践的なテクニックが役に立つ場合もあるだろうが、それよりも高く評価したいのは「正しい思考・論理・分析とは何か」、「正しい思考・論理・分析ができることの限界はどこか」を極めてクリアに言語化している点である。本書が示す手順に沿って思考・論理・分析の訓練も可能なので、その意味では実践向きであるが、その基礎となる広範な理論を、たかだか二百数十頁にまとめ切ったことに著者の力量を感じる。



ちなみに私は、社会科学系学部の出身で、社会人として10年強の実務経験がある。帰納法や集合論を少なくとも概要として理解できる程度の訓練を積んでおり(それらは受験や期末試験のためだったかもしれないが)、実務経験の中では日常的に「思考」し、「論理」を立て、「分析」を行ってきた。以下、これを踏まえた要約と感想である。




本書は第1章「思考」、第2章「論理」、第3章「分析」に分かれている。実務経験者の立場からすると、思考より論理、論理より分析の章に進むにつれて「なるほど」と感じる頻度が高くなった。この「なるほど」は学問的には目の前がパッと開ける快感の瞬間で、職業人的には、「今までの『思考』はこの側面が曖昧だった」という反省の瞬間であり、「あの時の『分析』は結果的に正しい方法でなされていた」という、実務にひきつけた確認の瞬間でもある。



現在進行形で実務を抱えている場合、本書が説く意味で「正しく」考えていようがいまいが、株価や金利や為替レートは刻々と変化するし、取引相手との交渉期限は迫っているし、決裁のため稟議書も規定に則って仕上げなくてはならない。

「正しく」考える技術は、本書に沿ってレベルアップ可能だが、「正しい」思考・論理・分析を十分に用いるためには、現実の要請から逆算した早期の準備が必須であることも、本書を通して改めて得た気付きのひとつであった。第3章では、分析の中で情報収集と構造化やメッセージの抽出それぞれに費やすのに妥当な時間割合を示している。当たり前だが、制限時間内に可能な限り「正しく」結論までたどり着かなければ、実務に携わる職業人としては失格である。この点は自戒もこめて気持ちを新たにしたい。




閑話休題




1章「思考」では、思考の本質は「事象の識別」と「事象間の関係性の把握」であることを示している。前者については、技術的には①ディメンジョンの統一、②クライテリアの設定、③MECEであること、を3要件とし、これらを満たせば「正しく」「事象の識別」が可能というのは、論理・分析の準備段階として極めてエッセンシャルである。実務ではおそらく、時間の経過とともに考慮すべきディメンジョンが別次元に移行し、クライテリアの要請も変わり、MECEでなければ想定外の事象が発生しやすくなる。より直感的には、同章中の「分かることは分けること」という表現が、やや定義不足ながら概念的な指針として機能するのではないか。また後者は、相関と因果関係の峻別など、統計学でよく指摘される留意点の確認。



2章「論理」は、演繹法と帰納法を論理展開の方法論として比較し、「分析」に向かう準備として、実証科学的である帰納法を用いる上の、言わば"お作法"を確認する。このあたりから例示もアナロジーとして実務にひきつけて考えやすくなっている。法規制の適用判断のような大命題からの論理展開(つまり演繹法)が必要とされる局面を除けば、実務上の「分析」はほとんど帰納法に頼っているため、「正しく」帰納法を用いるためのサンプリング方法や納得性の高い共通事項の抽出方法をまず明示。その上で客観的「正しさ」を担保する必要条件と十分条件をロジックとファクトに求め、「分析」に至る準備が完了する。(ここまで我慢して読めば、ようやく楽しい(笑)「分析」に入れます。)



実は第3章「分析」自体は、少なくとも私にとって、前の二つの章ほど技術的に得るものは多くなかった。しかし、「なるほど」の回数は多い。これはどういうことかと言うと、十数年実務に携わっていれば、情報収集→定性定量分析→プレゼンテーション、というサイクルは何度となく繰り返しているため、本書が説く「正しさ」を考える前に、統計分析にしてもチャート作成にしても、習い性で手が動く状態だったからである。

いま思えば、評価された分析やプレゼンテーションは、結果として「正しい」分析方法に基づいていた。すなわち、「情報収集と分析のバランスが良く」、「分析対象の構成要素の関係性を踏まえた構造化がなされ」、「分析から導いたメッセージは規則性と変化を的確に表し」、かつ、「結論が合目的的」だったと言える。方法論としての確証なく十数年間「分析」してきたことが、ある時は「正しく」ある時は「正しくなった」ことがクリアに言語化され、ゆえに「なるほど!」が多かったのである。



3章のもうひとつのテーマに、イシューの設定→イシューツリーの作成→仮説の検証、という流れから結論を導く「イシューアナリシス」がある。たとえば経営分析あれば、マーケティングの4C4P、あるいはSWOTのようなフレームワーク分析が汎用性の高さから使用頻度は高い。ただし、ここが「正しい」分析の限界であるが、イシューの設定自体からは恣意性は排除し切れない

これは私の考えだが、いたずらにフレームワークを多用するよりも、前述の分析のための基礎を理解し身に付けたうえで、イシュー設定に確信が持てるよう経験を蓄積すること、イシュー設定のためにどこまでも深く考え抜くことが、遠回りでもアウトプットの質を高めることになるのではないか。そのような実力がつく頃には、フレームワークの適切な使いどころも学習できているはずである。
 

「おわりに」で本書は以下のように述べている。



優れた論理的思考能力が身につくと、多少オーバーな表現をするならば、見える景色が違ってくる



確かに、本書を読み、これまで曖昧だった部分がクリアになったことで、違った景色が少し見えたように思う。一方で、違った景色をもっと見たいと思う反面、どうすれば他者に違った景色を見せることができるのかを考えずにはいられない。

本書に述べられていない現実の困難のひとつに、「分析」結果を需要者(顧客かもしれないし上司かもしれない)に「理解してもらう」というプロセスがあり、その解決法は「本書を読んでもらい、同じように思考・論理・分析を理解してもらう」ではないはずである。本書が名著であることに疑問の余地はないが、職業人としては、本書が説く「正しさ」を自由に使いこなしたいと望むと同時に、「正しい分析」結果を需要者に「理解してもらう」ことのハードルの高さも意識させられた一冊だった。

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